はじめに
介護現場では、記録業務、ケアプラン作成、家族向け文書、申し送り、研修資料作成など、生成AIを活用できる場面が広がっています。人手不足が続くなか、業務負担を減らす手段としてAI活用を検討すること自体は自然な流れです。
一方で、介護現場が扱う情報は、氏名や住所だけではありません。病歴、服薬状況、認知症の進行度、家族関係、生活上の困りごと、経済状況など、利用者の尊厳や安全に直結する情報が日常的に記録されています。元資料でも、介護現場の生成AIリスクは「入力時の情報漏洩」と「出力時の誤情報」の二重構造として整理されています。
生成AIは便利ですが、「何を入力してはいけないか」を決めずに現場へ広げると、善意の効率化が重大な情報漏洩につながる可能性があります。この記事では、介護事業所がまず整備すべき「生成AI入力禁止ルール」を、現場で使える形に落とし込んで解説します。
介護現場で生成AI入力禁止ルールが必要な理由
介護関係事業者は、個人情報保護法に沿った医療・介護分野向けの個人情報取扱いが求められます。個人情報保護委員会と厚生労働省のガイダンスでは、介護保険施設、居宅サービス、地域密着型サービス、居宅介護支援事業などが対象範囲に含まれると示されています。
生成AIの利用で注意すべきなのは、通常の「社内システムへの記録」とは違い、入力した文章やファイルが外部サービス側に送信される場合があることです。特に無料版や一般向けのクラウド型AIでは、入力データの保存、学習利用、管理範囲、削除可否が事業所側から見えにくいことがあります。
また、AI事業者ガイドラインは、AIの開発・提供・利用にあたって必要な取組の基本的な考え方を示しており、2026年には第1.2版も公表されています。介護事業所も「利用者」として、AIを便利な道具として使うだけでなく、リスクを前提にした管理体制を整える必要があります。
つまり、介護現場のAI活用は「使うか、使わないか」ではなく、「どの情報を入れず、どの環境で、誰が確認して使うか」を決める段階に入っています。
生成AIに入力してはいけないNG情報
利用者本人を特定できる情報
まず禁止すべきなのは、利用者本人を直接特定できる情報です。氏名、住所、電話番号、生年月日、顔写真、介護保険証番号、被保険者番号、緊急連絡先などは、原則として生成AIに入力しないルールにします。
たとえば「山田花子さん、昭和18年生まれ、岐阜市在住、要介護2」という情報は、複数の要素が重なることで本人特定につながる可能性があります。氏名だけを消して「Aさん」としても、年齢、地域、家族構成、病歴、サービス利用状況が残っていれば、関係者には誰のことか分かってしまう場合があります。
病歴・服薬・ADL・認知症状などの要配慮情報
介護現場では、病歴、投薬状況、アレルギー、認知症の症状、BPSD、ADL、排泄、入浴、食事、睡眠、転倒歴など、極めてセンシティブな情報を扱います。これらは一般的な顧客情報よりも慎重な管理が必要です。
個人情報保護法では、病歴など不当な差別や偏見につながり得る情報は「要配慮個人情報」として扱われます。介護記録やアセスメントには、この要配慮個人情報に該当し得る内容が多く含まれるため、生成AIへの入力禁止リストでは最優先で明記すべきです。
家族関係・生活状況・相談内容
見落とされやすいのが、家族関係や生活背景です。たとえば「長男と関係が悪い」「娘が金銭管理をしている」「近隣トラブルがある」「独居でゴミ出しが難しい」といった情報は、介護の質を高めるうえでは重要ですが、外部AIに入力してよい情報ではありません。
ケアマネジャーや介護職員にとっては日常的な記録でも、利用者や家族にとっては非常に私的な情報です。家族向け文書の作成や支援方針の相談にAIを使いたい場合でも、具体的な人物像が浮かぶ情報は削除し、一般化した相談文に変換する必要があります。
職員・法人の機密情報
生成AIに入れてはいけないのは、利用者情報だけではありません。職員の人事情報、勤務シフト、給与、退職理由、ハラスメント相談、内部トラブル、取引先との契約条件、未公開の事業計画なども入力禁止です。
介護事業所では、職員の配置や勤務状況が利用者支援と密接に関わるため、「人手不足の相談」「シフト改善案」「職員面談メモの要約」などでAIを使いたくなる場面があります。しかし、職員個人が特定できる情報や法人の未公開情報を外部AIに入れることは、別の情報漏洩リスクを生みます。
写真・音声・記録ファイル
テキストだけでなく、写真、音声、PDF、Excel、Wordファイルも注意が必要です。利用者の顔が写った写真、居室の様子、介護記録、申し送り表、事故報告書、サービス担当者会議の議事録などを、そのまま生成AIにアップロードする運用は避けるべきです。
最近の生成AIは、画像や音声、ファイルを読み取れるため、便利さと同時に漏洩範囲も広がっています。医療情報システムの安全管理でも、サイバーセキュリティ教育や安全管理の重要性が示されており、介護現場でも基本的なセキュリティ衛生を軽視できません。
「匿名化したから大丈夫」とは限らない
イニシャル化だけでは不十分
現場でありがちな誤解が、「名前をAさんに変えればAIに入力してよい」という考え方です。これは危険です。
たとえば、氏名を消しても「90代女性」「独居」「週3回デイサービス利用」「長男が県外在住」「最近転倒」「特定の難病がある」といった情報が残っていれば、事業所内や地域の関係者には本人が推測できる可能性があります。
匿名化とは、単に名前を消すことではありません。本人を識別できる情報を削除し、他の情報と照合しても個人が特定されにくい状態にすることです。介護現場でAIを使うなら、「氏名を消す」ではなく「具体性を落として一般化する」ことを基本にします。
相談文は一般化してから入力する
AIに相談したい場合は、次のように変換します。
悪い例は、「佐藤一郎さん、87歳、要介護3、認知症が進み、夜間に自宅を出ようとします。長女が介護疲れで怒鳴ってしまいます。どう対応すべきですか」という入力です。
良い例は、「認知症のある高齢利用者が夜間に外出しようとするケースで、家族介護者の負担も大きい場合、介護職が検討できる一般的な支援策を整理してください」という入力です。
後者であれば、本人名、地域、家族の具体的事情、詳細な病歴を避けつつ、一般的な支援の考え方を得ることができます。ただし、AIの回答はあくまで参考情報です。最終判断は、ケアマネジャー、管理者、医療職など人間の専門職が行う必要があります。
介護事業所の社内規程に入れるべき7項目
1. 使用できる生成AIツールを指定する
職員が個人判断で無料AIや私用アカウントを使う状態は避けます。法人として契約したツール、入力データが学習利用されない設定が確認できるツール、管理者が利用状況を把握できるツールなどに限定します。
2. 利用目的を限定する
生成AIの利用目的は、文章の言い換え、研修資料のたたき台、一般的な説明文の作成、業務手順書の整理など、個人情報を含まない業務に限定します。ケアプラン、事故報告、家族連絡、行政提出書類などに使う場合は、必ず管理者や専門職の確認を挟むルールにします。
3. 入力禁止情報を明文化する
入力禁止情報は、抽象的に「個人情報を入れない」と書くだけでは不十分です。氏名、住所、電話番号、生年月日、病歴、服薬、認知症状、介護保険証番号、家族関係、生活歴、顔写真、音声、事故報告書など、現場が迷わない具体例で示します。
4. 出力結果をそのまま使わない
生成AIはもっともらしい文章を作れますが、内容が正しいとは限りません。医療・介護・福祉制度に関する説明、服薬、疾患、事故対応、虐待対応、行政手続きなどは、必ず公的情報や専門職の確認を行います。ヘルスケア領域の生成AI活用でも、アウトプットの正確性確認や人による評価の重要性が指摘されています。
5. 著作権・秘密保持にも注意する
他社資料、研修資料、契約書、マニュアル、外部講師の資料などを生成AIに入れることも避けます。著作権や秘密保持契約に関わる情報は、利用者情報とは別のリスクです。
6. インシデント報告ルートを決める
誤って個人情報を入力した、AIの回答をそのまま使って誤った説明をした、職員が私用AIに記録を貼り付けたなどの事案が起きた場合、誰に、いつ、どのように報告するかを決めておきます。個人データの漏えい等が発生し、本人の権利利益を害するおそれがある場合には、個人情報保護委員会への報告や本人通知が必要となる場合があります。
7. 全職員に定期研修を行う
生成AIのルールは、管理者やケアマネジャーだけが知っていても意味がありません。介護職、看護職、事務職、パート職員、新入職員を含め、全員が「何を入力してはいけないか」を理解する必要があります。
研修では、難しい法律説明よりも、現場で起きやすい事例を使うことが効果的です。「家族へのお詫び文をAIで作りたい」「申し送りを要約したい」「事故報告書を整えたい」といったケースごとに、使ってよい入力文と使ってはいけない入力文を比較すると、ルールが定着しやすくなります。
安全に生成AIを導入する実務ステップ
介護事業所が生成AIを導入する場合、最初から全業務に広げる必要はありません。まずは、個人情報を含まない業務から始めるべきです。
第一段階では、研修資料の作成、一般的な業務マニュアルの文章整理、会議アジェンダ作成、広報文のたたき台作成などに限定します。第二段階で、介護制度の一般説明、家族向け案内文のひな形、職員教育用のQ&A作成へ広げます。第三段階で、ケア記録やアセスメントに近い業務を検討する場合は、匿名化ルール、承認フロー、専用環境、ログ管理を整えたうえで進めます。
特にケアプラン作成や利用者支援方針に関わる業務では、「Human-in-the-loop」、つまり人間が最終確認する仕組みが不可欠です。AIは事務負担を減らす補助役であり、利用者の生活を判断する最終責任者ではありません。
AI推進法は、AIの研究開発と活用を進めながらリスク対応を図る枠組みとして全面施行されています。介護事業所にとっても、AIを怖がって止めるだけではなく、リスクを管理しながら使う姿勢が求められます。

まとめ
介護現場における生成AI活用は、記録業務や文書作成の負担を軽減し、職員が利用者と向き合う時間を取り戻す可能性があります。しかし、その前提は「入力してよい情報」と「絶対に入力してはいけない情報」を明確に分けることです。
特に、氏名、住所、連絡先、病歴、服薬、認知症状、ADL、家族関係、生活状況、介護保険証番号、顔写真、音声、事故報告書などは、原則として生成AIに入力しないルールを徹底する必要があります。
生成AIは、介護職員の代わりに判断する存在ではありません。人間の専門職が責任を持って確認し、利用者の尊厳と安全を守るための補助ツールです。介護事業所が今取り組むべきことは、AIの導入そのものよりも先に、入力禁止ルール、承認フロー、研修、報告体制を整えることです。
安全なルールを持つ事業所ほど、生成AIを現場の味方にできます。情報漏洩を恐れて使わないのではなく、漏洩させない仕組みを作ったうえで、介護DXを一歩ずつ進めていくことが重要です。
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