はじめに:自治体の生成AI活用は「使うか」ではなく「どう安全に使うか」の段階へ
地方公共団体では、人口減少や職員不足を背景に、議事録作成、文書要約、住民問い合わせ対応、庁内FAQ、法令調査などで生成AI活用への関心が高まっています。総務省も自治体における生成AIの利活用を取り上げ、業務効率化や行政サービス向上の有効な手段として位置づけています。
一方で、自治体の情報システムは一般企業とは異なり、LGWAN、マイナンバー利用事務系、インターネット接続系などの分離を前提に設計されてきました。生成AIを導入する際は、単にChatGPTのようなサービスを使えるようにするだけでは不十分です。入力データの機密性、クラウド接続経路、ログ管理、AI学習への利用回避、誤回答対策まで含めて設計する必要があります。
LGWAN環境で生成AI導入が難しい理由
LGWAN環境における最大の課題は、生成AIの多くがクラウド上の大規模言語モデルを利用する点にあります。従来の自治体ネットワークは、外部インターネットとの接続を厳格に制限することで安全性を確保してきました。しかし、生成AIを業務で使うには、Azure OpenAI ServiceなどのクラウドAI基盤や、LGWAN対応のAIサービスへ安全に接続する必要があります。
ここで重要になるのが、情報の機密性分類です。公開済み情報や広報文案であれば生成AIに活用しやすい一方、個人情報、未公開の行政内部文書、住民相談内容、税情報、福祉情報などは、入力可否や処理方法を厳密に分けなければなりません。とくに自治体機密性2以上の情報は、単純なクラウド入力ではなく、マスキング、匿名化、非学習設定、ログ監査などを組み合わせた利用設計が必要です。
総務省の情報セキュリティポリシー関連ガイドラインは継続的に見直されており、e-Govでも地方公共団体向け情報セキュリティポリシーガイドライン等の改定資料が公表されています。自治体の生成AI導入は、このようなセキュリティ方針の延長線上で考える必要があります。
α’モデルと閉域網接続が生成AI基盤の出発点になる
自治体のクラウド活用では、従来の三層分離を前提とした「αモデル」から、より柔軟にクラウドサービスを利用する「α’モデル」への移行が論点になっています。生成AIもこの流れの中で、LGWAN側から安全に認可済みクラウドへ接続する設計が求められます。
代表的な構成は大きく3つあります。
1つ目は、ローカルブレイクアウトを活用し、LGWAN接続系の端末から特定のクラウドAI基盤に限定して接続する方式です。通信先をホワイトリスト化し、許可されたテナントやエンドポイントだけにアクセスさせることで、不要な外部通信を抑制します。
2つ目は、LGWAN-ASPや中継サーバーを活用する共同利用型です。県や広域連携単位で安全なゲートウェイを用意し、複数自治体が同じAI基盤を利用します。小規模自治体にとっては、個別に高度なネットワーク設計や監査体制を構築するよりも現実的な選択肢になります。
3つ目は、ExpressRouteやPrivate Linkのようなクラウド側の閉域接続技術を使い、庁内ネットワークとクラウドAI基盤をインターネットに露出させずに接続する方式です。MicrosoftのExpressRouteはオンプレミス環境などからMicrosoftクラウドへプライベート接続する仕組みであり、Azure Private LinkはPaaS等にプライベートエンドポイント経由で接続できる仕組みです。
安全な生成AI基盤に必要な5つの実装ポイント
LGWAN環境で生成AIを使う場合、ネットワーク接続だけで安全とは言えません。アプリケーション層、運用層、職員教育まで含めた多層防御が必要です。
PIIマスキングと入力制御
もっとも基本になるのは、個人情報や機密情報をそのままAIに入力させない仕組みです。中継サーバーやAPIゲートウェイで、氏名、住所、電話番号、マイナンバー、相談記録などを検知し、マスキングまたはブロックする設計が必要です。
職員に「入れないでください」と周知するだけでは限界があります。現場では急ぎの相談、複雑な文書、判断に迷うケースが必ず発生します。そのため、入力画面側で警告を出す、禁止ワードを登録する、一定条件では送信できないようにするなど、人的ミスを前提にした設計が重要です。
AI学習への利用回避
自治体が生成AIを使う際は、入力内容がAIモデルの再学習に使われない契約・技術設定が不可欠です。LGWAN対応サービスの中には、入力内容の学習回避、機密情報ブロック、ログ蓄積、国内処理などを特徴として掲げるものもあります。
ただし、サービス資料の表現だけで判断するのではなく、契約書、利用規約、データ処理場所、再委託先、ログ保存期間、インシデント時の責任分界点まで確認する必要があります。
APIキーの秘匿と認証管理
Azure OpenAIなどのAPIを利用する場合、職員端末にAPIキーを置く設計は避けるべきです。APIキーは中継サーバー側で管理し、職員は認証済みの庁内アカウントを通じて利用する形が望まれます。
これにより、退職者アカウント、異動後の権限、部署別利用範囲、利用ログの紐づけが管理しやすくなります。生成AIは便利な反面、誰が、いつ、何を入力し、どの回答を得たかを追跡できなければ、事故発生時に説明責任を果たせません。
ログ監査と利用状況の可視化
生成AI導入では、ログ管理が単なる監視ではなく、業務改善の材料になります。利用回数、部署別の活用状況、よく使われるプロンプト、回答品質、削減時間の見込みを分析すれば、研修やガイドライン改善につなげられます。
一方で、ログには機密情報が含まれる可能性があります。ログの閲覧権限、保存期間、匿名化、監査方法をあらかじめ定めておくことが重要です。
ファイル無害化とエンドポイント保護
今後の生成AI活用では、テキスト入力だけでなく、PDF、Word、Excel、音声、画像などのファイルをAIに処理させる場面が増えます。議事録作成、申請書確認、庁内文書検索、RAG連携では、ファイルのアップロードやダウンロードが発生します。
そのため、ファイル無害化、マルウェア検知、EDR/EPP、権限管理、ダウンロード制御を組み合わせる必要があります。生成AI基盤は「チャット画面」ではなく、庁内システムとファイルサーバーをまたぐ新しい業務基盤として捉えるべきです。
共同利用モデルは小規模自治体の現実解になる
生成AI基盤を安全に構築するには、ネットワーク、クラウド、セキュリティ、運用ルール、職員研修まで幅広い知識が求められます。すべての自治体が単独で同じ水準の基盤を整備するのは簡単ではありません。
そこで重要になるのが、県単位・広域連携単位での共同利用モデルです。岐阜県では、JBS、三菱総合研究所、アイネスによる「AIスタッフ総合案内サービス」が、県および県内市町村の計40団体で共同利用されることになったと公表されています。
また、飛騨市や関市では「exaBase 生成AI for 自治体運用パッケージ」の提供開始が公表されており、LGWAN対応、行政機関向けライセンス、プロンプトテンプレートなどが特徴として示されています。
共同利用モデルの利点は、コスト削減だけではありません。入力ルール、プロンプト、禁止情報リスト、ログ監査、研修教材、失敗事例を横展開できる点にあります。生成AI活用は、システムよりも運用ノウハウの差が成果に直結します。共同利用は、そのノウハウを自治体間で蓄積する仕組みとしても有効です。
次世代の論点はLGWAN内RAGとAIエージェント
今後の自治体AI基盤では、単なるチャット利用から、RAGとAIエージェントへ発展していく可能性があります。
RAGとは、庁内規程、条例、過去の答弁、FAQ、マニュアルなどを検索し、その内容を根拠として生成AIに回答させる構成です。LGWAN内またはLGWAN-ASP上にベクトルデータベースを置けば、内部文書を外部AIに学習させずに、文脈に沿った回答を生成しやすくなります。
ただし、RAGは万能ではありません。古い文書、誤ったFAQ、権限外の資料が検索対象に混ざれば、回答の品質も下がります。文書更新管理、アクセス権限、参照元表示、回答検証フローを整備しなければ、かえって誤回答のリスクが高まります。
AIエージェントはさらに一歩進み、職員の指示に基づいて複数の作業を自律的に進める仕組みです。議事録作成、説明資料作成、法令調査、問い合わせ分類、庁内申請補助などで活用が考えられます。しかし、自律的に動くほど、権限管理、実行ログ、承認フロー、外部通信制御の重要性は高まります。
ガバナンスは「禁止」ではなく「安全に使い続ける仕組み」
生成AIのガバナンスで避けたいのは、リスクを理由に一律禁止することです。禁止だけでは、現場の職員が個人アカウントや非公式ツールを使うシャドーAIを生みかねません。
必要なのは、利用できるAI、入力してよい情報、禁止情報、確認すべき出力、責任範囲、ログ管理、問い合わせ窓口を明文化することです。総務省が公表したAI活用・導入ガイドブック第4版では、生成AIの利用方法や利活用事例、留意事項、自治体向けガイドラインひな形が追加されたとされています。
自治体にとっての生成AI導入は、単なるツール導入ではありません。情報セキュリティポリシー、業務改革、人材育成、住民サービス改善を結び直す取り組みです。安全性を高めるほど使いにくくなるのではなく、安全な環境を整えることで、職員が安心して使える状態をつくることが本質です。

まとめ:LGWAN生成AI基盤は「ネットワーク・データ・運用」の三位一体で設計する
LGWAN環境で生成AIを安全に活用するには、AIモデルそのものの性能だけでなく、接続経路、データ処理、ログ監査、ファイル管理、職員教育まで含めた総合設計が必要です。
重要なポイントは、第一にα’モデルや閉域網接続を前提に、安全なクラウド接続を設計すること。第二に、PIIマスキング、非学習設定、APIキー秘匿、ログ監査によって、入力情報と利用履歴を管理すること。第三に、県単位・広域単位の共同利用モデルを活用し、小規模自治体でも実装可能な運用基盤を整えることです。
今後は、LGWAN内RAGやAIエージェントの普及により、自治体の生成AI活用はさらに高度化していきます。そのとき問われるのは、AIを導入したかどうかではなく、住民情報を守りながら、職員の業務をどこまで安全に変えられるかです。次の研究テーマとしては、LGWAN内RAGの文書更新管理、自治体AIエージェントの権限設計、共同利用プラットフォームの費用負担モデルを掘り下げる価値があります。
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